夏目漱石の「それから」読書感想文!現代版ニートの恋物語?
この物語の主人公、長井代助は三十歳で無職の男性です。大学を優秀な成績で卒業するも、働かず、毎日小説を読んだり、演劇を観たり、ぶらぶらと過ごしています。
「熱心さを人事上に応用できない」
「生活のための労働は誠実な労働ではない」
「日本対西洋の関係が悪いから働かない」などと、
抽象的で他人事のような返事をしてはぐらかします。彼の周りの人たちは、代助を手のつけようのない、世間離れした青二才だと思いつつ、いつかは自分の立場を理解し、社会に出て働く時期がくるだろうと思っています。
代助の恋
そんなある日、学生時代の友人の平岡の妻である三千代が、代助のもとにやってきます。彼女は代助に借金の申し出をし、代助は仕方なく了承します。
その後も二人は縁あって、度々会うのですが、二人の関係は徐々に深まっていきます。あるとき代助は自分の中に三千代への恋愛感情があることに気づきます。
そして、ついに意を決した代助は、平岡にこれまでの事を打ち明け、「三千代を自分にくれないか」と懇願します。
翌日、平岡からの手紙を持った兄が代助を訪ね、代助はその手紙の内容を認めます。
父から勘当され、兄にも見放された代助は仕事を探しに出かけますが、その途中、代助は突然発狂に近い精神状態に陥り、物語は悲劇の結末として終わります。
主人公と神経症
代助は普段から、自分の胸に手を当て心臓の鼓動を確かめる癖があります。
また、必要以上に地震に怯えたり、椅子の上で体を揺らし、落ち着きのない様子や、突然、いてもたってもいられなくなる様子などが描写されます。
周囲の人間から見ると、マイペースで自分勝手に見える代助ですが、ロンドン留学中の漱石自身がそうだったように、何らかの不安障害や神経症を患っていると思われます。

引きこもりと文学
「それから」の代助は 、家族や友人に見放され、いよいよ追い詰められてから仕事を探しに行くのですが、このような状況に陥らなかったら、彼は今まで通り、働かずに毎日を過ごしていたでしょう。
この小説以外にも、引きこもりを扱った作品は古今東西にあります。ドストエフスキーの「地下室の手記」、ゴンチャロフの「オブローモフ」。
現代の日本でも、絲山秋子や町田康、村上龍といった作家たちが、主人公の若者が社会と接点を持たず、自分の部屋に引きこもり、内面世界に耽溺する、といった小説を書いています。
現実でも高校、大学卒業後、就職せず職業訓練も受けていない、いわゆる「ニート」と呼ばれる若者が増化しており、現在、日本におけるニート人口は約56万人といわれています。
厚生労働省の調査によると、若者自立支援塾に通う三割近くの若者が、がうつ病、 発達障害などの何らかの精神疾患を抱えていると報告されています。
行政や民間による様々な支援があっても、彼らは中々社会復帰できないのです。また、若者だけでなく、中高年の引きこもりも増えているそうです。
人と人のつながりが希薄になり、社会から孤立する私たちですが、漱石は、「私の個人主義」 (講談社学術文庫)所収の「職業と道楽」という講演の中で、こう述べています。
「 開化の潮流が進めば進むほど、また職業の性質が分れれば分れるほど、我々は片輪な人間になってしまう。」
「これでは相互を了解する知識も同情も起りようがなく、せっかくかたまって生きていても内部の生活はむしろバラバラで何の連鎖もない」。
これを解消する「機関」として「文学書」を挙げています。その理由は「元来文学上の書物は専門的の述作ではない、多く一般の人間に共通な点について批評なり叙述なり試みた者であるから「階級のいかんにかかわらず赤裸々の人間を赤裸々に」
「人間として相互に」結びつけることができるからだと。
「それから」の代助は、西洋化、近代化する明治の日本社会からはみ出した若者ですが、現代の日本人にも共通する部分は多くあり、今なお読み継がれるべき小説だと思います。
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