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北野武の新しい道徳を読んだ感想!道徳を語る人間は信用できない?

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「何かおかしいと思うから道徳について書いてみた」新しい道徳を読んだ感想

小学校では道徳が教科として教えられることになりました。子どもに道徳を教える前に大人がきちんと考えるべきではないのか?

道徳を人に教えてもらうということは道徳を人任せにすること。それは自分の人生を人任せにするのと同じこと。

著者の北野武は「誰かに賛同してもらいたくて書いたわけでもなく、逆に炎上を狙って書いたわけでもない。何となくおかしいと感じるからこの本を書いてみた」と言う。

本を読んですべてを鵜呑みにする奴はすぐに本を閉じて欲しいと書かれていたので、私は突っ込みを入れながら読もうと思いました。

しかしどの言葉も胸に突き刺さるものがあってこういうことを授業で教わりたかったなと思いました

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道徳が役に立つのはむしろ不道徳な人

そもそも道徳とは教えるものなのか?という論点から始まります。道徳は子供が体験を通して自分で考えて身に付けるものではないか?

例えば誰かに親切にして良いことをする。気持ちが良いことを自分で発見して初めて意味があると言います。

だから自分がどうしようもなく疲れていたら無理にお年寄りに席を譲らなくても良い、だってそれは全然気持ち良いことではないから。

私が子供の時に道徳が好きになれなかったのは多分こういうことだったと思いました。道徳=いい子ちゃんのふりをするという感じがしたからです。

「道徳が役に立つのはむしろ不道徳な人間だ。上っ面だけのいい人間のふりができる。道徳と良心は別物だ。」

という北野武さんの意見を読んでスッキリしました。


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本当に必要なのは道徳ではなく美しさ

道徳では良心を作ることは出来ない。ではどうしたら良心を育てることが出来るのか?それをこの本では良心の疼きという言葉で表現しています。

北野武さんが母親に教わったことを守らなかった時に何となくバツが悪いというか良心が疼く感じ、これが大切なのです。

昔の人がよく言っていた「お天道さまが見ているよ」というのも同じです。

自分でその行動が美しいと思えるかという美意識の問題でもあります。きれいさと美しさは違うと思います。

道徳はきれいごと、きれいさを教えるものだと思います。

でも本当に必要なのは自分の中の美学。理由はいらない、

とにかく「ダメなものはダメ」というラインを身に付ける方が大切だと私は思いました。


道徳がどうのこうのという人は信用しちゃいけない、

これが結論だと冒頭に書いてしまうあたり本当にこの人はすごい人だなとあらためて思いました。

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